本
八日目の蝉

本との出会いって、タイミングがあると思う。必然とでもいうべきか・・・
今の自分にとって、必要とされる絶好のタイミングでやってくるように思う。
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10年ぐらい前、NHK連続ドラマで放映していたのを見ていたが、最後まで見た記憶がなく、『どうなって終わったのか?』と気になっていた。その後、映画も放映されたが、見逃していた。
八日目の蝉
著:角田 光代 中公文庫

本書は、第一章、第二章からなる。
一章では、主人公が、不倫相手夫婦の赤ん坊を誘拐し、逃げて逃げて、逃げまくる。逃亡劇は、とても、とても怖いと感じながら読み進めていく事となる。なぜなら、心理学でいうところの「手放し」が、あからさまに次から次へとやってくるからか?
「執着を手放し、新しいもの(幸せ)を受け取る」というセオリーを実現していく主人公は、時に、わが子との生活のために、遺産の数千万をあっさりと手放すこともする。
友や、仕事、お金、名前までも手放し、怖いったらありゃしない。そして、逃げる。わが子と生きるために、逃げる。生き延びるために、逃げ続けなければならない。手放し続けなければ、生きていけないのだ。
手放したが故に、救いの手は、その時々で、必ずやってくる。この世の中、生きていくとは、そういうものなのかと思いつつ、自身が持って生まれた運命のようなものもあると思う。主人公の行動力、意志とは、強いものなのだなぁ~とも、感心する。
ラストは、とある港で、主人公と3歳半になった子供が引き離されて終わる。
読み手の私も、安堵する。もう、逃げる必要はないのだと。手放すものは、もうないのだと・・・。
第二章は、誘拐された子が、大学生になったところから始まる。
実の両親の元に戻ってからのこと、両親の心情(ここでも、逃避はあるが、一章ほど怖さはない)、裁判のこと、事件の真相等、いろいろな角度から読み取る見ることが出来て、真意を突いてくる展開。興味深く読めるとともに、読了し、カバーを閉じたら、底知れぬため息が出た。
何が正しいのだろう、何が幸せなのだろう、何をもって愛というのだろう・・・。感慨深いものがあった。
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最近、積読棚から、裏メッセージとして「(老いを前に)女性の生き方や生き様について考える」的なものを、手にとって読んでいるような気がする。
人生後半、独女として、どう生きるか?をマインドは、導いてくれているのかもしれない。