図書館

図書館

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たまに、近所の図書館に行く。私の住む地域は、人口が多いせいか、図書館は、いつも満員。

 

子供からお年寄りまで、年齢層も幅広く、閲覧用の椅子があいていることは、ほとんどない。

 

世間では、「読書離れ」とささやかれることもあるけれど、ここには、縁のない言葉のようです。

 

たまたま、日曜日の開館前に、行った時の事。すでに、十数人の人が、入り口で待っていて、扉が開くと同時に入って行く人の様は、まるで、テレビなどで見る百貨店の開店と同時に入る人たちのように、一目散に目的の所に各々突き進み・・・。

 
中には、今日まで借りていた8冊の本(一度に借りられる本の冊数)を受付カウンターに出し、さらに、今から借りる為の8冊の本を積み上げているお年寄りの姿をみると、『年齢を重ねても、本を読んで学ぶ姿勢の大切さ』をありありと、しかも、8冊の本を二週間で読み終える(たぶん。)そのパワーは、すごいものだと思います。そういう姿を見せ付けられるとね・・・。『私ごどき、若造は、大したことありません』と頭を下げたくなる気持ちにもなります。

 

私が、図書館に行って本を借りる時は、読みたい本があり、探すためではなく、なんとなく、行ってぷらぷらしてみるのです。

 

読みたい本がある時は、購入して、自分のペースでゆっくり読んだり、また、手元に置いておいて、時によって読み返してみたくなる本。

 

だけど、図書館に行って借りる本は、俗にいう「直感」で借りるのです。
ふら~と、図書館に行って、本棚を何気なくまわって、なにげなく、気になった本や、つい、手にとってみた本を借りて読むことになっています。

 

「直感」で選んで借りた本なのに、何故か、今の自分にとって指針となるものや、今置かれている自身のプロセスにとって、学びとなるメッセージがあったり、さらには、新しいインスピレーションをもたらしてくれるものもあったりして、面白い。

 

自分の意思ではなく(読みたいと思う本)、作者や本の話題性など、全く知らずに借りて読む・・・。しかも、図書館には、数千、数万という本がある中で、一冊を選んで読むとなると、私にとって、‘必然’として与えられた書物となるわけです。
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先日たまたま、時間をもてあまし、図書館にいった時、背表紙の「カノン」という字に惹かれ、手にとってみた。
― 記憶を失っていく難病の32歳・女性。末期ガンで余命一年を宣告された58歳・男性
男と女は、それぞれの目的を果たすため、お互いの肉体に‘入れ替わる’ことを決意した ―

 

たまさか、私の屋号も「Kannon(かんのん)」とあり、ちょっと、親近感が湧いたのと、この一文に、妙に興味が湧いた。

 
作者の中原清一郎氏の略暦を見たところ、作家兼ジャーナリストの方のようで、作家としては「外岡秀俊」という名で賞も受賞しているらしい。どちらにしても、私にしては、「お初にお目にかかります・・・」的な感じ(^^)

 
よくある、男と女が入れ替わる的な話ではなく、もっと奥が深く、それでいて、‘感情’について、また‘生きる’ということに、考えさせられました。
副タイトルにある「お互いの肉体に‘入れ替わる’」とあるのは、この本の中では、脳の中枢にある「海馬」を移植(入れ替わる)のだけれど、所詮、誰しも「おしまいに向かって進む針」の中で、どう生き抜くか?は、誰にとっても永遠のテーマともなっているような。
入れ替わった男女の話だけではなく、‘記憶’や生活習慣、また、認知症や、忘却についても、これからの時代において、考えさせられる要素が盛りだくさんで、読み応えがありました。

 

文中の中で、「いつも おそばに・・・」とリンクするところも、少し垣間見え、なんとなく、私の本が小学生だとしたら、この本は、大学生のようにも思えたのは、私自身にとって、面白かったところでもあるし・・・。

 

読み進めていく中で、終盤になって、最初のページからめくりなおす事になったのは、作者のトリックなのかも。それを、素直に順じた自分をかわいく思ったりもして。
本との出会いも、それぞれのプロセスにおいて、必要とされる時にこそ、出会いがあると思うので、敢えてお勧めはしませんが、ご縁があれば、「カノン」に出会ってみるのも、いいかも。
読み手が女性ならば、なおさら・・・。

 

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いくつか、参考になった文を抜粋しておきます。っていうか、認知症の親をもつ私にとってのグランディングとして書き留めておきます。

 
認知症になった方への対応として、
まず、相手のいうことに、決して逆らわず、ただ受け流すこと。否定したり説教したりするのは禁物。そうしたら、本人には自分が拒まれたっていう寂しさや悔しさしか残らない。それと、あの子の自尊心を大切にしてあげて。これからどんなに判断力が衰えても、自尊心だけは残るんだから。

 

怒りについて、僧侶が行った言葉

「怒りはコントロールしようと思ってもできない。ちょっと向きを変えて、エネルギーを解き放つしかない。しかし、コツさえ吞み込めば、さほど難しいことではありません。向きを変えるのは造作ないことです。」

この一文には、ヒーリングを学んでいたころに、よく教えられた言葉でもある。「怒りのエネルギーをやる気のエネルギーに変えろ!」と。怒りを否定しているうちは、成長できないんですよね~。受け入れて、向きを変えねば・・・。う~~~ん。。。
難しいようだけど、坊さんがいうように、コツさえ掴めれば、どうってことないのかも。

 

とりあえず、修行です。。。